明けないよると沈まぬたいよう 4
魄動を探し舞い遊ぶ蝶達と別れ、はひとり、月下の散歩者となっていた。
霊感が全く働かない。
センサーがジャミングを受けているのとも違う感覚。
まるで、尸魂界に居るかのような錯覚を覚える。
強大な力に包まれた力場。飽和状態の霊力の中では、感が働く訳も無い。
その状況に、酷似していた。
だからかもしれない。
知らず、緊張は解けてゆき、任務中にもかかわらず集中の糸は途切れてしまった。
あまつさえ、その自覚すら持てない。なんという体たらく。
此処は尸魂界ではないのに。
身を襲うものなき安息の地では。
此処は現世。
人に害成す悪鬼蔓延る、業深き地。
それを、失念していた。
一時とて任務を忘れるなど、あってはならぬ事であるにも関わらず・・・・・・・・・・
「っつ!!!!!」
是は、その報いか。
「キャハハハハ、隙ダラケよ、死神さァん」
突如響いた嬌声。それに気付いた時、既に遅し。
ぼたりと、肉の千切れ落ちる音がした。
背中が、焼けるように熱い。
あぁ、あれは私の肉が落とされた音か。初めて聴いた。
いやに冷静に判断し、腰の剣を抜いた。手が震える。今にも剣を取り落としてしまいそうだ。
―――――――痛い。
(背中の傷は、剣士の恥――――――――)
油断した。油断だなんて言葉で片付けられないくらい、気を抜いていた。
背中が絶え間なく痛みを訴える。激痛。いっそ神経が麻痺してくれれば戦うことも叶うだろうに。
目が霞む。
止め処なく流れ出す血が、鉄錆の臭いを撒き散らす。
そして振り向くと眼前には、醜悪な白仮面。
「ヒヒヒヒヒ、よわっちいのぉ」
舌なめずりもおぞましい。
爪の先に着いた赤に舌を這わせながら、ソレは恍惚の表情を浮かべた。
三下、小物、雑魚。その程度の力しか持たぬ、脆弱な虚。
知能も低い。霊力もそれ程ではない。
けれど、ソレ相手に深手を負った、この事実。
(私は、それ以下ということか・・・・・・・・・)
消え入りそうになる意識を必死で繋ぎとめ、耳障りな声を上げる虚に切先を向ける。
しかし、柄を握る力は弱く、震える切先は己が力量不足をまざまざと見せ付けているようで、口惜しい。
「アナタも、アタシの力にしてあげるぅ」
舌足らずなその声が告げる。
死刑宣告にしては安っぽい言葉。
「・・・謹んで遠慮申し上げよう」
この期に及んで減らず口が叩けるのか。かすれた情けない声で。見上げた自尊心だ。
ともあれ、立っている事すら困難なこの状態で、如何な雑魚とはいえ虚を斬ることが可能か?
否、斬らねばならない。
失敗は許さぬと、彼の人は言った。ならば命令を遵守することこそ、今の私に出来る唯一のこと。
意地を、見せてみろ。
己を叱咤し、息を吸う。無事なはずの肺ですら機能を失ってしまったかのようだ。呼吸が、苦しい。
「消えろ、三下め」
渾身の力で地を蹴った。じゃり、と小さな音がした。
醜悪な虚が口を開き、触手を振り上げた。
―――残念、私の方が、一拍速い
上段から、一振り。
たった、それだけ。
それだけで、決着はついた。
「とんだ小物だったな・・・」
断末魔の声が聴こえる。虚の仮面に亀裂が走る。放っておいても、もう大丈夫のはずだ。
あとは勝手に消滅する。
そこまでを確認して、は膝をついた。カラン、とやけに軽い音がして刀が地に落ちる。
たった一撃で、一瞬で倒せるような相手にここまでの深手を負わされて。
情けない。
最後の最後で、経歴に泥を塗ってしまった。私があの人の隣にいられる理由は、無傷の輝かんばかりの経歴
があればこそ。
もう、理由が無い。側に居続ける口実がない。
仕舞いだ。
背中の感覚は、ついに無くなった。
背中だけではない。足先、指先。全身の感覚がもう、ない。
これで、おしまい
死に際に見えるという走馬灯は、目に浮かびはしないけれど。
遠のく意識。白く覆われてゆく視界。すぅ、と薄れた痛み。心地よいほどの脱力感。
やけに軽い気分だとは思った。解放される心持ちだ。何から?
もう、疲れてしまった。くたくただ
堅苦しい言葉。閉塞された組織。誹謗。中傷。下らない嫉妬。不毛な想いを抱え続ける事。焦がれ続ける苦痛。
女としての自分を目の当たりにする辛さ。薄汚いプライド。何もかも。
だから、バイバイ。
それら全てから解放されるなら、悪くない。
安息が、得られるのなら。
永遠の安寧が得られるのなら。
死ぬのも、きっと、悪くは無い。
目を閉じれば、無明の闇が見えた。
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