明けないよると沈まぬたいよう 5



何もかもが終ったと思った。目を閉じて見えた闇から目覚めることは二度とないのだと思っていた。死。 私の先に待つのは死という名の終焉以外になかったはずなのに――――


ここは、どこだ?


何故、私は目覚める?


体が重かった。痛いわけではない。だが思うように動かない。麻酔でも掛けられてようだ。感覚があまりない。 白い天井。私は寝台の上に寝かされているようだ。


「目ェ醒めた?」


すぐ左横から声がした。人の姿は見えぬ。
不思議に思い少しは自由のきく首を動かして左を見た。
手の届くほど近くに、人の姿を見た。

どういうことだ?

左が、見えない。


「コッチ、見えへんやろ?」


感情の無い、独特のイントネーションの喋り口。市丸ギン。その人だ。
温かな指先が、私の左まぶたに触れるのを感じた。感じただけだ。何も見えない。触れられているという感覚 はあるのに。何も、影すら、見えない。


「コレ、もう見えへんのやて。これからずっと」
「・・・・・そう、なんですか」


他人事のように聴いていた。確かに見えないのに。何故か悲しいとは思わなかった。


「左の腕も前みたいには動かせへん。腱が切れてんのやて。 あとな、両腕とも握力はほとんどあらへん。剣はもう、二度と握られへんやろ」


死神としての は死んでしまったのか。
目も見えぬ、剣も使えぬ。それでどうして戦える?


死神としての利用価値は消えた。死神としての私は死んだ。


けれどやはり、悲しいとは思わなかった。むしろ笑いが込み上げてきた。
死んだはずの死神が、今、こうして息をしている。生きながらえている。
滑稽だ。どうして私は生きている?


「アンタは地上での任務完遂後、3日昏睡状態やった。その間に、六番隊長サンはアンタを除籍した」


刑の宣告をされているようだ。
私は切り捨てられたのか。(当然だ)彼はもう、私を必要としないのか。(当然だ)
目が見えなくなったことよりも、腕が不自由になったことよりも、二度と剣を握れなくなったことよりも。
朽木白哉に不必要とされたことが、目の前を真っ暗にした。
可笑しい。可笑しくてたまらない。


「と、まァ伝達事項はこのくらいやね」
「・・・・・確かに、承りました。ありがとうございます」


声が震えないように腹に喉に力を込めた。
可笑しい。笑いそうだ。けれど、何故か涙も一緒に出てきそうだ。厭だ。泣きたくなどない。泣くものか。
それが精一杯の矜持。指先ひとつ動かすのもままならぬ状態でなにが 矜持だ。 名実共に死神でなくなった今、守るべき矜持などないだろう?


「に、しても。アンタよく生きとったなァ。倒れとるアンタ見つけたときはもう死んでんのかと思ったわ」


目の前が、カッと真っ赤に染まったような気がした。



私を助けたのは――――



「貴方が、私を?」
「せや。アンタをここに連れてきたんはボク」
「何故!?」


突いて出た鋭い声に、体中が痛んだ。喉が痛んだ。軽く咳き込んだ。
掴みかかることも出来ない今、私はただ睨むことしか出来なかった。それすら半分しかできない。 役立たずの片目。余計に腹が立った。


「心外やなぁ。助けて欲しくなかったん?・・・・・死にたかったん?」
「今の私に、生きる価値など?生き恥を晒せと仰いますか?」
「ふぅん?」


切れ切れの声。でも言わずにはいられない。
何か言っていなければ。
涙が、出そうだ。


「で、なァアンタ、ほんとのところ朽木白哉とどないな関係なん?」
「そんなことッ、今何の関係もないでしょう?それに、あなたには関係ない!」
「はっ、エエなァ、その喋り方」


指摘されて気付いた。
隊長格に対してあるまじき言動。取り乱した態度。
死神になって以来忘れていた。『優秀な死神』を演じていない私本来の姿。

追い詰められてとっさに出た口調。
それは恐らく、私の本質。

なぁんだ、そういうことか。どれだけ取り繕ってみても、結局のところ私は死神になりきれなかったただの 女なのだ。
なりきれていたなら。こんな失態は犯さなかった。
そもそも、朽木白哉に心奪われたりなどしなかった。
愚かしい。
私は女である自分を否定し続けていたその実、ただの女でしかなかった。
本当に、愚かしい。


「・・・・朽木隊長とは、何の関係もありません。私が一方的に、好意を抱いていただけ」
「ほんまに?」
「嘘を吐いてどうなります?」


随分と気が楽だった。
死神としての自分を失い、女としての自我だけが残った今。格式ばった言葉を使う必要も無くなった。 もうどうでもいい。


「なァんだ、つまらんなぁ」
「本当に。つまらない結末」


これで、もう二度と私は朽木白哉に逢うことは叶わないだろう。
あの人は、利用価値の無いもの汚れたもの潔くないもの、そういうものを嫌う。今の私は彼の嫌う要素で 出来上がっているといってもいい。彼は現れないし、現れて欲しくも無い。

こんな不様な姿を最後に見せたくはない。
私が不様だろうとそうでなかろうと、きっとあの人は歯牙にもかけないのだろうが。

私の後任にもう別の誰かが就いているのだろう。できればそれは男であればいいと思う。 未練たらしい。


「これから私はどうなりますか?」
「うーん、とりあえず生活の心配はせんでええよ。住むとことかは支給されるみたいやし。傷もな、痕は残るけど これから上級救護班の誰か来るらしいから、今日には痛みも消えて普通に動けるようになるやろ」
「左の眼と腕以外は、ですか」
「せや」


やはり、目と腕が不自由になった事への悲壮感は不思議なほど無かった。ただ少し不便だと思うくらいのものだ。
当面の生活に不安はない。
ならば、何を心配する必要がある?

これから私は安寧を手に入れる。

朽木白哉を離れれば。
安息を手に入れられる。


暫らくは、胸が痛むのだろうけれど。それは乗り越えなければならぬ痛み。眼と腕と同じ。
仕方のない痛み。受け入れなければならない事。


「そういえば、どうして市丸隊長が私の事後処理をして下さってるんです?」
「やっと訊いてくれたなァ。いつ訊いてくれんのかなァって待っててんよ?」
「それどころじゃなかったんです」
「隊長サンのことばっか考えてて?」
「えぇ」


はっきり言うてくれるなァ、と市丸は笑った。
彼が笑ってくれるから。私の間抜けな横恋慕の結末も、笑い事にしてしまえそうだ。


「アンタにな、興味があってん」
「物好きですね」
「ちなみにな、現在進行形やで?」


温かい手が、私の左頬を包んだ。朽木白哉の手とは正反対の、柔らかくて体温の高い手。
気配もない、眼も見えない。前触れ無く触れた手に体がびくりと震えた。


「傷心につけこめば、アンタ、ボクのものになってくれるかなァって、ちょっと期待してんねん」


温かい手。
私を暖めてくれる存在。
安らぎを与えてくれる人。

なにもかもが。
今まで焦がれていたたいようとは正反対。

よるだ。

この人は、よる。
痛みも悲しみも苦しみも汚さも、闇に包み込んで隠してくれる。
先の見えぬ暗さに初めは恐怖すら感じるけれど、目が慣れてしまえばそこは他のどんな場所よりも安心できる空間。


夜の闇。


このまま、流されてしまうのが、楽なのだろう。
この人は私が恋愛感情など持たなくても、優しくしてくれるのだろう。そもそも彼自身、口でいう程私にそういう感情は 抱いていないに違いない。けれど彼の許に居ればひとりの寂しさに沈むことも無いのだろう。


「そこまで安い女じゃありませんよ」


けれど。
意地っ張りな私は、甘い誘いを袖にした。


「ケチ」


市丸はやはり笑うから。
私はどこか救われたような心持ちで、目を閉じた。

見える暗闇。

頬に触れる温かい手。





---2年くらい前に4話まで書いた死神夢。5話目だけ文体が違うのはそういう理由で。