「あー、目がかすむ・・・疲れた・・・」
(実際の年齢がどうであれ)少年の外見をした彼が言うにはアンバランスな言葉に
彼女は不覚にも笑いを零してしまったのだ。
ある午後の賭け事
その上、閉じたまぶたを指で押さえ眼球をマッサージしはじめるものだから。
まるで中年男性のようなその所作に、シェリィはどうしても笑を堪えることが
できなかった。勿論、労わりの気持ちは十分にあるのだけれど。馬鹿にしている
つもりもないのだけれど。
「なんだよ、盗み聞きか?」
「聞かれたくないのでしたら、口になさらなければよろしいのに」
Jr.がそう言いがかりをつけてきたものだから、シェリィも入室の際にノックを
怠った自分を棚に上げた。
無人だと思われた小さな会議室はどうやら代表理事が使用中だった模様だ。
「ちび様、このようなところで何をなさっておいでですの?」
「仕事。見てわかんねぇ?」
「分かりかねますわ。私の記憶違いでなければここは会議室ですもの。ちび様の
執務室は別にございますでしょう?」
「自分の仕事部屋でなきゃ仕事しちゃなんねぇなんて法はないだろ?どこで何を
しようとオレの勝手」
部屋の中には液晶画面の設置された長机がいくつか。上座には他の机よりも
幾分か造りの良いものが置かれている。椅子もまた然り。Jr.が座っている
椅子は見るからにふかふかで随分と座り心地が良さそうだ。
Jr.のすぐ後ろには一面に取られたガラスの窓。南向きのそこからは午後の日差し
が燦燦と降り注ぐ。
そういえば、ちび様は日なたがお好きだとか。
ここ以外にもきっと、日当たりが良く尚且つ人気の無い場所をいくつも知っている
のだろう。
Jr.は唐突にふらりと姿を消すことがよくある。サボタージュか、といえばそうで
はない。返ってくる頃には彼が抱えている仕事の大半は消化されているのだから。
ヒトがいない方が事務仕事はかどんだよ、オレは。
いつだか、そう言っていたのを思い出した。
だが、10をいくつか過ぎた程度にしか見えぬ子供が、手のひらに納まるほどの
携帯端末を弄っている姿はゲームか何かに興じているようにしか見えない。
「てっきり、おサボりになられているのかと思ってしまいましたわ」
Jr.の言葉を疑う気持ちなど小指の先ほども無いのだけれど、戯れにとシェリィは
揶揄した。
それを当然のように承知している風に、彼も皮肉げに笑ってみせる。
「そういうお前こそ。会議室に何の用だよ?この部屋の使用申請はどこからも
出てないぜ?」
「ひとやすみ、ですわ」
「なんだ、サボリはおまえじゃねぇか」
シェリィは窓にほど近い席に腰を掛け、ふぅと深い息を吐いた。今日が別段
忙しいわけでも疲れが溜まっているわけでもないが。時折、息苦しくなるのだ。
現状に不満があるわけではない。毎日充実していると言える。
なのに、こうして静寂と孤独の中に安息を求めてしまう。理由はわからないが
昔からずっとこうなのだから。自分はこういう性質なのだとシェリィは達観
していた。
「ガイナン様には黙っていて頂けますかしら?」
「告げ口なんかするかよ、バァカ」
ピ、と小さな音がした。Jr.の小さな手が端末を操作しているのだ。
ピ、ピ、断続的に聴こえる音が光の中に満ちてゆく。
「シェリィ」
呼ばれて顔を上げた。いつの間にか顔を伏せ、目を閉じていたようだ。余程リラックス
していたのか突然の声に少なからず、心臓が跳ねる。
Jr.は立ち上がって、シェリィが座っている椅子の背もたれに手を掛けて引っ張った。
キャスターが付いている為に容易く彼の手が導くままに、床を滑り上座に招かれる。
陽の光に、一瞬目が眩んだ。
幾度か目を瞬かせてみると、明るさにすぐに慣れた。
今や、シェリィの席はJr.のすぐ横。その位置に得心したように一度頷いてから、
Jr.はシェリィの座っているもの
とは違いしっかりとした足が地に付いている幅広の椅子に横柄に腰掛けた。
「ちび様?」
「おまえには今から、オレの目付け役をしてもらう」
行儀悪く片膝を立てて(それも靴を履いたままだ)、その膝の上に頬を置いて。
斜め下からシェリィを見上げる顔は笑っていた。
「今日中に片付けなきゃなんない案件がまだ残ってんだ」
「それは・・・少々お急ぎにならなければ」
手伝いましょうか、と。言いたいのだけれど。彼の扱う仕事の内容は
ファウンデーションの将来をも左右しかねない重要なものがほとんどで、
目を通すことすらはばかられるようなもの。如何な秘書とはいえ、そう
易々と手を出せるものではない。
いや、出してはならないのだ。秘書ごとき、が。
「でもなー、やる気でねーんだよなー」
「それは困りましたわね」
そんな私に、この人は役割を与えようとしてくれる。
それがどれほどの幸福か。
「なんっかさ、こう、モチベーションの上がる何かが必要だと思わねぇか?」
「ご褒美が、欲しくていらっしゃいますの?」
「さすが!話が早い」
おどけた風に言えば、同じように遊んでいるかのような声が返ってくる。
「何でもお好きなものを申し付け下さい。私に叶えられる範囲で、ちび様の
望みを叶えて差し上げますわ」
この人の隣に居る時には息が詰まることなど無くて。むしろ常よりも呼吸が
楽になるようにすら思える。
いつでも微笑を与えてくれる。私は―――
「その言葉、確かに聞いたからな」
「勿論、仕事を完遂された暁には、の条件付きだということをお忘れにならない
よう」
「絶対に終わらせてやらぁ。見てろよ?」
私は―――私の居場所はここなのだと確信できる。
「えぇ。見ておりますわ。目付け役を仰せつかっておりますもの」
今、この時に生きる全ての人の中で。確固たる自分の居場所を認識できる人が
どれほどいるだろう。ここに居ていいのだと、お前が必要なのだと、
教えてもらえる人がどれほどいるだろう。
それは幸福なことに違いない。
何よりも幸せなことに違いない。
胸が温かくなるのは、なにも陽だまりにいるからだけではないはずだ。
緩んでゆく頬を押さえて、シェリィは先ほどまでとは打って変わって真剣な顔で
端末の画面に向かうJr.の横顔を見つめた。
---ちびさまの要求が手作りの食事とかなら楽しい。赤シェリ推奨。てかシェリィを推奨。