側にいて
私を見て私だけを呼んで
私に夢中になって
抱きしめて





in your arms





「女は強欲なのですわ」


彼の背後には一面の摩天楼。そこは既にイルミネーションに落ちて宝石のように輝いている。 地上よりはるか高みのこの場所。出入り口にロックを掛けてしまえば邪魔をするものなど何一つ無く 完全犯罪すら可能かしら?そんなことも思えるほどの完全な密室。 私達を見咎めるものは誰もいないのだから、少々羽目を外したところで誰にもバレはしない。そういう 確信が少し私を大胆にさせるのかもしれない。


「いいえ、そんな言い方では他の女性に失礼ですわね。私が特別に欲深なのでしょう」


足音は床の絨毯が吸い込んでしまう。音は無い。ただ地上から届くわずかな光と、私と貴方だけで完成 されている世界。このままここに閉じ込められたら。それ以上の幸福はきっとない。


「・・・・・最初は、貴方の側に居られるだけで満足でした」


机を挟んで対峙した。机に両手を突いて。余裕の顔をして私を見上げる顔を見下ろした。
「それで」先を促す声は静か。少しも動揺しない様に、少し悔しくなる。


「いつしか、それだけでは足りなくなってしまった。側に居るだけじゃ満たされなくなってしまった」


耳に掛けていた髪が滑り落ちる音すら聴こえるほどの静寂の中で。二人だけという事実が優越感を与えてくれる。 顔の横にカーテンのように降りた長い髪に指が触れた。毛先にまで神経が通っているかのよう。敏感にその感触 を捉える。


「私という個人を見て欲しいと思うようになりましたの」
「これで、満足か?」


その指に私の髪を絡めたままで。視線が私を射抜いた。間近で交わる視線に胸が高鳴る。


「いいえ、まだ。まだ足りませんわ」


でも、心のどこかが空虚なまま。貪欲にもっともっとと求める。ただひとりの存在を求める。その全てを 手に入れたいと。


「私の名前、呼んでくださいませんか?」
「シェリィ」


求めた声が名を呼ぶ。それでもまだ足りない。
少し前まではこの声で呼ばれるだけで満ち足りた気持ちになれたのに。今はまだそれでも足りないと思ってしまう。 何かを手に入れるたびに。貴方の欠片を手に入れるたびに。得られる満足はとても大きいけれど一瞬のもの。 すぐに、また別のものが欲しくなる。どこまでも強欲になっていく。


「もっとです」
「・・・用もないのにそう何度も呼べるものか。照れるだろう?」
「あら、お可愛いことをおっしゃいますのね」


臆面も無く、女の母性をくすぐる言葉を選ぶ。遊びなれた風な顔は外向けの顔であることを知った。 その仮面の下に別の顔を隠し持っていることに気付いた。そうしたら、それを見せて欲しいと思うようになった。 誰にも見せたことの無い顔を見せて。私に。私だけに。


「・・・・貴方のその口が、私の名だけを呼べばいいのに」
「それでは日常生活に支障が出てしまうだろう?無理を言わないでくれ」
「無理と承知で望んでしまうのが、恋心というものですわ」


恋。心。それが私を欲の塊にしてしまったもの。


「私、貴方を好きになってから少し自分が嫌いになりましたの」
「何故?」
「だって、我がままなのですもの」


隠れていた自分の汚い部分がどんどんと表面に押し寄せてくる。
嫉み、憎しみ、狭量、何よりこの強欲。


「欲しいのですわ。貴方の全てが」
「難しい事を言う」
「ねぇ、もっと私を見て下さいませんこと?」


小首を傾げれば、カタンと小さな音がしてすぐに唇に暖かな感触。目を閉じずに目の前の人物の挙動をじっと見ていた。 くちづけのその瞬間も。伏せられたまつ毛。硬い感触の髪に手を伸ばして、離れていこうとする唇を引き寄せた。 今度は目を閉じて。キスの感触だけを味わった。少し苦いのは煙草の味。わずかに香るフレグランスと一緒に吸い込んだ。

こうしてキスをしても。
そうきっと、体を重ね合わせたとしても。
彼の全てを手に入れることは叶わないのだろう。そんな予感はあった。女などに溺れる人ではないと。 決して短くない共に過ごした時間の中でとっくに知っていた。それでも近づいた。愚かな女だ。 彼にとっての私は、彼の外見や資産を目当てに近寄ってくる他の女と大差ないのかもしれない。でもそれでいいとすら 思えた。


「見えていないよ、今は、君以外ね」


その言葉が嘘だっていい。今は私にだけ言ってくれる言葉なのだから。
今、この瞬間だけは。私はこの閉塞した空間のなかで彼を独り占めにしている。それでいいのだ。ひとときでいい。 ふりでいい。私に夢中になってくれればそれで満足できる。


「愛しているよ、シェリィ」


耳元で囁かれた声。それで満足なのだ、今は。
今は。
いつかこれだけでは足りなくなる時が来るのだろうけど。
今は、これで満足なのだ。



貴方の腕に抱かれて。





---BGM『in your arms』/angela