運命が回る音を聴いていた。
運命の天球儀
「アルベドの不安定さは知ってるつもりだったけど、最近のあいつは見るに耐えないね」
「・・・ニグレド、そんな言い方は止めろ」
「本当の事だろう?ルベドだって分かってるはずだ」
黒髪の兄弟が吐き捨てるように言った言葉を、咎めることは出来ても否定することは出来なかった。
口にこそしていないが、ルベド自身も同じ事を感じていたからだ。
元来ひどく脆い精神のつくりをしている白髪の兄弟は、かろうじて保っていた精神の安定を今や完全に失いつつある。
「あいつは・・・・弱いんだ、守ってやらなきゃなんねぇ」
「ルベドが護るのか?」
「あぁ。オレはあいつの兄貴だから」
「・・・・・護る必要なんか、ないだろう」
「ニグレド?」
「弱ければ淘汰される。それだけだ」
「おまえ、何言って・・・」
「自分自身とあいつを護るだけの力が、ルベド、君にはあるっていうの?」
ニグレドは、苦虫を噛み潰したような顔をして目をそむけた。
「僕は、君に傷ついて欲しくない・・・・」
そして、そのまま踵を返して走り去ってしまった。
去り際に見えた、辛そうな顔。自分がもっと上手に立ち回れたら(ニグレドの心配は無用だと言い切れるほどの力
があったなら)あんな顔させないですんだのだろうか、と。やるせない気持ちになる。
「オレだって、おまえらに傷ついて欲しくねぇんだよ」
全てを支配して、何もかもを思い通りにできるくらいの力が欲しいとは言わない。
兄弟たちを護れるだけの力があればいい。―――強くなりたい。
願えど、与えられた力は微々たるもので。結局、みっともなくあがくしか道はないのだとルベドは知っていた。
「・・・・とりあえず、アルベドだな」
無駄なあがきに過ぎないのではないか?よぎる不安を振り払って、ルベドは前を向く。
今、出来る事をするしかないんだ。言い聞かせて。
アルベドを探しに出かけた。
「やっと見つけた。探したぜ?」
本当のところ、アルベドの行く場所はごく限られていて。さしたる苦労もなく彼を見つけることが出来たのだけれど。
軽い口調で少し大げさに言ってみせた。
「あぁ、ルベド」
彼らの箱庭のはずれにある小さな森の奥にある大樹の傍ら。そこにアルベドは膝をついてうなだれていた。
ルベドの呼び声に振り返った、その顔色は青白い。
「何、してるんだ?」
「別に・・・ただ、ここは静かだから」
疲れきったような声。力ない笑顔。沈んだ瞳。
見るからに衰弱している姿に、胸が痛んだ。
「ルベド、どうしたの?ぼくに用事?」
「あぁ、用ってほどのことじゃないけど」
あれから―――アルベドが、自分の再生能力が他の兄弟にはない能力なのだと知ってから―――、彼はまるで
大人のような振る舞いを見せるようになっていた。
無邪気にはしゃいで、走り回り、よく笑っていたアルベドは、いなくなってしまった。
ただ、時折ひどくヒステリックになって泣き叫び、無為にモノや人や・・・自分を害した。
「ぼくに会いにきてくれたの?」
「あー、まぁ、そんなとこ」
アルベドは膝に付いた土を払って立ち上がった。
感情のない、冷たい声だと思った。これが本当にアルベドの声なのか?
「・・・・ねぇルベド、手、つないでくれる?」
「ん?何だよ、突然」
「いいから」
さくさくと土を踏む音が近づく。
差し出された手。
ルベドはその手のひらに自分の手を重ねた。
ひやりとした、冷たい手。本当に血が通っているのか疑いたくなるほどに。
「ルベドの手は、あったかいね」
「おまえ、手つめてぇよ」
指先まで冷え切った手が、ルベドの手を強く掴んだ。痛いと、思ったけれど。あえて何も言わずにアルベドの
好きなようにさせた。
「ぼく、ルベドの手、好きだよ」
「ん?」
「ぼくはルベドになりたい」
俯かせた顔。
白髪の小さな頭。
ルベドの手にアルベドの爪が食い込んで、皮膚を裂いた。
「・・・って」
「ううん、少しちがう・・・・・ぼくはルベドと同じになりたい。ひとつになりたい」
血が手を伝う感触に、背筋が粟立つ。
痛みより、恐怖。何に対してのものかは分からないけれど。
「そしたら、ぼくはひとりぼっち残されたりしない」
「アルベド・・・・」
「ねぇ、どうやったら同じになれるの?」
泣いているのかと思った。
押し殺した声が、痛々しかった。
「・・・それは・・・無理だ」
「なんで!?」
「仕方ないことなんだ」
「仕方ないってなんだよ!」
「初めから決まってる事だ、変えようがない・・・分かってくれよ」
「分かんないよ!」
ルベドの手から流れた血が、アルベドの指先を染めていった。
「決まってる?初めから?」
「・・・あぁ」
「ぼくが死なないことも、ルベドが死んでしまうことも、初めから決まってたの?」
「・・・・・そうだ」
「誰が?誰が決めたの?」
「そんなのオレだって知らねぇよ!」
ルベドの怒声にアルベドは怯んで身を固め、唇をかんで俯いてしまった。
「あ、悪い・・・怒鳴るつもりはなかったんだ・・・」
けれど、アルベドの目に涙はなかった。
あんなに泣き虫だったアルベド。なのに、この頃は涙を見せない。
いつも泣きそうな顔をしているにも関わらず。
「・・・・・許さない」
「え?」
「こんなこと決めた奴、絶対に許さない!」
「アルベド!」
ルベドの手を離して、アルベドは駆け出した。
とっさにその腕を掴む。迂闊にも傷ついている方の手を出してしまったため、引きとめた瞬間に痛みが走った。
ルベドは顔をしかめ小さく呻き声を上げたけれど、掴んだ腕を離そうとはしなかった。
「・・・・離してよ」
「おまえ、オレの手、好きだって言わなかったか?」
「好きだよ・・・・・でも、嫌い」
アルベドは背を向けたままでルベドの手を払いのけた。
「ルベドのあったかさは好き。でも、嫌い」
「おまえ、わけわかんねぇよ」
「ルベドとぼくが別々なんだって思い知らされるから嫌いだ!」
ルベドはもう一度、アルベドの腕をつかんだ。
けれど、また払いのけられてしまう。
「おい・・・」
「触んないでよ!」
ヒステリックに叫んで、アルベドは走り去ってしまった。
残されたルベドは、何も考えられずただ呆然と、その場に立ち尽くしていた。
手に刻まれた痛みだけが、やけにリアルだった。
「・・・・どうすればいいんだよ」
アルベドを護る術が欲しかった。
側にいてくれと彼は言う。
でも、それだけでは足りないと泣く。
助けて欲しいと叫ぶ。でも手を差し伸べれば、それじゃ嫌だと喚く。
「おまえ、ホントわけわかんねぇ」
涙がひとつぶ、こぼれた。
アルベドを苛んでいる深すぎる闇に。
代わってやりたい、せめて共有してやりたい。そう思うけれど―――
「何にも、できねぇよ・・・オレには」
無力すぎる自分が歯がゆくて、腹が立って仕方なかった。身動きが取れない。
もう何をすればいいのか、分からない。何も分からない。
彼らの希望を奪い去り、運命の輪は廻り続ける。
その音が、絶望の淵で鳴り響いていた。
-----こんなのアルベドじゃない