最後。これで最後。そう言いきかす。
最後のくちづけ
「・・・・くすぐってぇよ」
腕の中、背中を向けて丸まっている暖かな体。耳元に、うなじに、くちづけを落としたら小さな体は不満そうに
身じろぎをした。
「起こしたか?」
胸元を赤い髪がくすぐる。
その感触が心地よくて。頭を抱き寄せた。
「寝てねぇし」
寝てない、というには普段より低く不機嫌な声で。彼はただでさえ小さな体をより一層小さく丸めた。
猫のようだ。
そう言おうものなら引っ掛かれ噛みつかれるのがオチだと知っているから、口にしたりはしないけれど。
「なら、話でもしないか?」
「何の?」
「さて、何の話をしよう」
自分よりはずいぶんと高い体温と、異なるリズムで刻まれる心臓の鼓動。
別々の個体だと、思い知らされる。だからもっと近くに感じたいと思う。
絡めた腕に力がこもった。「イテェよ」、不平が聞こえた。
「昔話でも?」
「冗談じゃない」
「それじゃ、未来の展望は?」
「ガイナン」
「ご不満かな?」
「大いに、な」
咎めるような声は予想通りの反応だった。
過去は忘れられない。否、忘れない。そう互いに誓ったから思い出すことはない。過去は常に共に在る。
未来に思いを馳せたりはしない。約束された明日などないから。今日、目を閉じて、明日また目覚められると
だれが決めた?
二人で見るのは現在だけだと決めた。
それで十分だ。
それ以上は手の中で受け止めるには大きすぎるから。零れ落ちて、失くさなくていいものまで失くしてしまう。
本当に大事なものはそう多くはない。
手の中につかめるものも多くはない。
「俺は・・・お前と俺だけあればそれでいいよ」
「はぁ?なんだよ、いきなり」
「過去の話も、未来の話もお気に召さないようだから。今現在の話さ」
犬・猫にするように喉元をなでたら平手で払い退けられ、あげく親指に噛み付かれた。
甘噛み程度に力加減されていたから痛くもなんともないけれど、仕種があまりに動物じみていて笑いを抑えられない。
「ふふ、お前は本当に可愛らしいな」
「ふざけたこと抜かしてると指噛み切るぞ」
「どうぞ、お好きに」
指を咥えているせいでくぐもっている声。低く喉の奥で唸ってすらいる。
本当に獣のようだ。
「代わりに、噛み切った指はお前が骨まで食ってくれよ?」
「美味かったらな」
口の奥で舌がちろりと指先をかすめる感覚に背筋がゾクリとする。
「美味かったら、指といわず全身喰ってやる」
舌の感触が指を伝って手首へと移る。
手首の内側に犬歯を立てられ、鋭い痛みが走った。
「っ」
「血だって一滴残らず飲み干してやる」
あぁ、噛み切られた。血の流れ落ちる感触に、本当にこのまま食べられてしまいたいと倒錯した考えが頭をよぎった。
「それで、お前はオレの中で生きればいい・・・・とでも言えば満足か?」
「Jr.・・・もしかして怒ってないか?」
「ご明察」
どことなく投げやりな口調が気になり訊ねてみれば、やけに静かな返答。
完全に機嫌を損ねたな、と。ガイナンは何が悪かったのだろうかと思考をめぐらせた。(残念ながら心当たりは
見当たらなかったけれど)
「よろしければ、ご機嫌斜めの訳を教えてくれないか?」
「わかんねぇならそれでいい。気にすんな」
「気にするな?それは無理な相談だ」
ご機嫌取りに頬を撫でてみても払いのけられるだけ。
耳元で許しを乞うても無視されるだけ。
返ってくるのは無言だけ。取り付く島もない。
(どうしたものかな)
これ以上下手な事を言おうものなら事態は悪化するだけに思えたため、ガイナンは沈黙を保っていた。
Jr.は腕の中から逃げようとはしなかったから。さらに機嫌を損ねて逃げられでもしたらたまらない。
ただ黙って、頭にキスをひとつした。そして目を閉じた。
それから、自分のどの言動がJr.を起こらせたのかもう一度考えてみたけれど。やはりガイナンには分からなかった。
何度も何度も、考えてみたけれど。いつになっても分からなかった。
気になる。気になってしょうがない。
「Jr.」
これ以上ご機嫌が悪化しようものなら、しばらく口をきいてくれないかもしれない。
Jr.は一度へそをまげると後が長いのだ。
気になる、知りたい。でもJr.を怒らせたくはない。二つの願望を天秤にかけた。
どちらを選ぶのが得策かは理性では分かっていたけれど。(Jr.を怒らせるのはどう考えても得策ではない)
でも、気になるものは仕方がないと腹をくくって質問を口にした。
「お前の機嫌を直すのに、俺はどの言葉を撤回すればいい?何を謝れば?」
「うぜぇ。黙れ」
回答は短いレスポンスではね返ってきた拒絶の一言。
これは怒らせたか、と体を固くしてガイナンは次のアクションを待った。
(瞬間、ガイナンの脳裏にはJr.のご機嫌取りフルコースが計画された)
けれどJr.の反応はガイナンの予想の範疇外だった。
身体を反転させてガイナンの胸の顔を埋めてきたのだ。
背中に腕を回して、しがみつくように。
「・・・何も撤回しなくていい。謝る必要もない」
「Jr.?」
「オレが勝手に拗ねてるだけだ。だから放っとけ」
「拗ねる?何を?」
「・・・・・聞くな、頼むから」
ぎゅ、と腕に力がこもったのを感じた。
顔を見ようとしてもガイナンからみえるのはつむじだけで、何を思ってこんなセリフを吐いたのか慮ることもできない。
「拗ねる?何を?」
「聞くなっつってんだろ?」
まじまじと胸にしがみついているJr.を眺めた。
燃えるように赤い髪との対比で、ただでさえ色素が薄く白い肌が余計に際立って見える。
けれど、かすかに覗く耳元やうなじの辺りに何となく朱みが差しているような気がして、ガイナンはJr.の
耳もとの髪をかきあげた。
「見るな。触るな、これ以上喋るな」
「照れてるのか?」
「うっせぇ」
ぐりぐりと額を胸に押し付けるようにしながら頭を振って、Jr.は髪を元通りにして耳を隠してしまった。
どうやらガイナンの目測は当たっていたようだ。
「なぜ?」
「喋るなっつってんだろ?」
―――そんなに可愛らしいと、お前を食べてしまいたくなるね
「バッ」
とっさに顔を上げたJr.は、間の抜けた赤い顔をしていて。あまりのかわいさについキスをしてしまった。
今度は合わせた唇に噛み付かれてしまったけれど。
「凶暴なことで」
唇を舐めると、血の味がした。唇の皮が薄いとはいえ一瞬で噛み切るなんて、とことん獣じみている。
「お前はオレが全部喰ってやるって言っただろ?」
「・・・あぁ、そうだな。召し上がれ」
降参を示して両手を挙げれば、背中の後ろにまわされていた腕がするりと首もとに移動して。
頚動脈に、唇が―――
「ここを喰いちぎれば・・・お前、死ぬよな」
首筋に当たる吐息がやけに熱い。
やけに・・・・興奮するな、と言えば。Jr.はどんな反応を示すだろう?
「お前を喰えば。オレはひとりだ」
その首に押し付けられたのは歯ではなく、唇。
痛みではなく、熱くて切なさを孕んだ温もり。
「ひとりは嫌だ・・・って、想像して少しヘコんでただけ、それだけだ・・・って、笑うな!!」
「ク・・・いや、悪い・・・だって・・ハハハ、あまりに可愛らしい答えで・・・」
「笑うな」
堪えきれない笑いを飲み込むように、無理矢理に合わせられた唇に心底胸が熱くなった。
間近に見えた目があまりに真剣で、また笑い出してしまいそうだ。
「・・・・笑うなよ」
「失礼」
「まだ笑ってやがる」
それから、長い長いキス。ヤケになったように。深くて長いキス。
次に小さく小鳥が交わすような短いキス。
繰り返されるくちづけ。
与えられるキスが止めば、ガイナンからも同じものを仕掛けた。
「これで、最後か?」
「まだ」
「じゃあ、次で?」
「まだ」
最後。これで最後。そう言い聞かせてみても。
唇が離れれば、何か物足りない。
だから、また求める。
もっと欲しいと貪欲になる。
「酸欠で死んだらどうしてくれるんだ?」
「人工呼吸で生き返らせてやらぁ」
「救命救急の心得があるとは知らなかったよ」
いつまでもこの時が続けばいいと。願わずにはいられなかった。
最後のくちづけが、いつまでも訪れなければいいと。
儚い願いと。
叶わぬ願いと。知っていても。
願わずには―――
----わけがわからない。私の書くのはこんなのばかりだ・・・・