気まぐれに、犬なぞ飼ってみようという気になった。
春風
春の日、休日。
わたしは自宅の屋根の上によじのぼって、ひなたぼっこを楽しんでいた。
程よく温まった瓦の上に寝転がって、腕を枕に空を見上げる。
まぶしくはあるけど(ついでに日焼けもしちゃいそうだけど)気持ちいいことこの上ない。
この季節にだけ許される贅沢だ、と思う。
木の葉の里の高台にあるわたしの家の屋根は誰かに見とがめられることなく昼寝を楽しめる
絶好のスポットだ。
少々、バランスには気をつけなければならないけれど。落ちたりしたら大変だ。
「よ、何してんだ?」
「うひゃあ!」
ガラ、っと屋根瓦が音を立てる。
(落ちる!)
突然声を掛けられて、わたしは器用にも寝転がった状態でバランスを崩し屋根から滑り落ち
そうになった!
もっとも、わたしを驚かせた声の主が腕をつかんで引きとめてくれたため事なきを得たが。
ギリギリで。
軒スレスレ。足先なんか半分宙に投げ出されている。わたしは身動きを取ることが出来ずに
その場でぶるぶると震えた。(何せ死ぬかと思ったのだ!)
「お、落ちて死んだりしたら化けて出てやる!」
「いや、このくらいの高さなら死なねぇだろ?」
その人物は心臓ばくばくで軽くテンパってるわたしを尻目に、至極冷静に軒下を見下ろして
言ってのけた。
それから、わたしを軒から少し遠ざけて座らせると、すぐ隣に同じように座り込んだ。
「そりゃキバなら死なないでしょうよ。なんせ忍なんだから。でもわたしは一般人なんだから
ね!運動神経だってないんだからね!」
「そこ、威張るとこじゃねぇし」
「いきなり音もなく現れないでよ・・・・」
簡単に10メートル以上ジャンプできちゃう人にはわたしの怖さなんか分からないに違いない。
あんなの人間業じゃない。
「・・・・・・あー、びっくりした。死ぬかと思った」
「・・・ごめん」
けど、ちゃんと反省した顔で謝られると、風船の空気が抜けるみたいに怒りが抜けていく。
しゅんとしてる姿を見ると、かわいそうに思えるくらいだ。
「ま、何もなかったからいいけどね。で、どうしたの?何か用?」
「別に用はないけど。下歩いてたらが見えたから、来てみた」
「あれ?赤丸は?姿が見えないけど」
そのうなだれた頭の上とか、肩の上とか、足元とかには。キバ少年の相方の子犬が常に居る
はずなんだけれど。今日は彼の姿が見当たらない。
念のためにキバのトレードマークのふかふかファーのついたフードをめくってみても、
やっぱり赤丸はいなかった。
「今日は留守番。つか、寝てたから置いてきた」
「なんだ、つまんない」
「なんだよ、赤丸ばっか・・・・」
赤丸はわたしにもよく懐いてくれてて、あのふかふかの毛並みを撫でるのはかなり楽しい
時間だ。
それをあまりに素直に言い過ぎてしまったためか、結果的にキバをないがしろに扱って
しまったようで、(そんなつもりは小指の先くらいしかないんだけど)キバは面白くな
さそうにそっぽを向いてしまっている。
口を尖らせて拗ねてる様子は、どこか犬のよう。
―――犬にしては、大きな図体だけれど。かわいい、と言えないこともない。
「拗ねるな、拗ねるな」
その真っ黒の毛並み・・・もとい、髪を撫でようとするとキバは一瞬、警戒するみたいに
して身を引いたけど、出来るだけやさしく、ゆっくりと手を伸ばしたらその警戒を解いて
首をすくめた。
髪を撫でると、気持ち良さそうに目を細める。
うわ、ほんとに犬っぽい。
家でずっと犬飼ってるって言ってたし、やっぱり似てくるものなんだろうか?
名前だって『犬塚』だし。
「犬種は、赤丸と一緒かな?」
「ん?何?」
「キバって犬みたいだなぁ、って思って」
見た目よりもごわごわしてない。思ったよりずっと柔らかい髪。
くせっ毛だから硬そうに見えるけど、案外と触り心地がいい髪だと思った。
「わたしね、子供のころ犬飼いたかったんだ。親が動物嫌いでダメだって言われたんだけどね」
「飼えばいいじゃん。今一人暮らしなんだし」
「今は・・・無理かな。犬について何の知識もないし。ほら、しつけとか予防接種とか?
そんな飼い主じゃ飼われる子がかわいそう。飼うとしたら、もっと勉強してから、だね」
「じゃ、さ」
その感触が指の先から逃げてゆく。
かわりに、何かざらっとした温かいものが一瞬だけそこに触れた。
「しつけも予防接種もいらない犬、飼わない?」
「へ?」
「オレ」
「は?」
もう一回、同じ感触が。今度は手の甲に。
あぁ、あれだ。この感触は赤丸が手を舐めるのに似て・・・・な、なめる?
「さっき犬みたいって言ったじゃん。なら飼ってよ。オレっていいペットになると思うけど?」
「ば、ばか!何言って・・・」
「ダメ?」
とすん、と。キバがわたしの膝の上に頭をのっけた。
ずっしりした重み。あれだ。赤丸が膝の上に乗ってる感触と、似てなくもない。
布越しにも伝わるあったかさ。くすぐったさ。
乱暴に扱っちゃいけないと思わせるなにか。
「言うこと聞くよ?散歩だっていらねーし。オレって尽くす方だし!」
ごろごろとじゃれつくみたいに、頬をすり寄せて。
膝の上から見上げてくる目に、う、っと言葉がつまる。
「メシは、結構食うけど・・・でも、後片付けだって自分でできるし!手、かかんねーはず!
オススメ!ゲットしとかないと後悔するよ!お買い得!」
おねがい、と両手を合わせてじっとこっちを見る仕種とか。
あー、なんかかわいいかも、とか思えちゃったりして。
大型犬、一匹。
飼ってみるのもいいかな、なんて気になってきて・・・・もしかして流されてる?
―――うん、でも。それも悪くないかもしれない。
流されてみるのも、楽しいかもしれない。
「おいくらですか?」
このぽかぽか陽気に、正常な判断力すら和んで消えてしまったのだろう。
「お代はラヴで結構です」
「なにそれ?」
「つーまーりー、」
腕がわたしの腰にまわる。
頬に触れた手には、残念ながら肉球はないけれど。
「キミの愛があればオッケーなのさ!」
「・・・バカ?」
「あ、ひでぇ!人が告白してんのに!」
「告白?何よ、それ本気で言ってんの?」
「本気も本気。大マジだっつーの!」
笑い飛ばして。また少し拗ねた君をなぐさめるのも、楽しい時間かもしれないね。