「なあ、リーマス。この頃
嬢はずいぶん落ち込んでいるようだな。表情が暗い。暗すぎる。
何かあったんじゃないか?」
「それは、ぼくに彼女のフォローをするよう勧めているのかい?」
「まあ、平たく言えばそうだ」
「なら、必要ないよ。余計なお世話だ」
「なぜだい?」
「だって、その原因はぼくなんだから」
そう。彼女を傷つけたのは他ならぬぼく自身だ。
『ぼくはきみを親友として好きなんだ』
ぼくは、こうなることを(きみを傷つけ、きみが離れてゆく事を)恐れて
きみを拒んだ。
きみだって、それを解ってくれると思っていた。けれどそれはぼくの独りよがり、
思い上がりだったみたいだ。
ぼくの言葉が、きみを深く傷つけた。その事実がぼくを打ちのめす。
『ぼくはきみを親友として好きなんだ』
あの日の言葉。
あの日のきみの顔。
耳に、目に焼きついて離れようとしない。あの日の夕暮れの赤が、かび臭い図書館の空気が
ぼくを縛り付けて離そうとしない。
それらが、絶え間なく胸の奥に突き刺さる。
ぼくの時間は止まったまま、心は血を流し続けて。もうきっと、虫の息。
月、ひとしずく
「リーマス、一体何があったんだい?」
「きみに話すつもりはないよ、ジェームズ」
「つれないじゃないか親友」
「悪いけれど」
なにもかもが億劫だ。いつもは楽しく感じられる彼との会話すらも面倒に思える。口を開くの
すら今のぼくには重労働だ。
何もしたくない。
けれど学生であるこの身ではそんなこと許されるはずもなく、重い体を引きずりながらも
ぼくは少しも面白くない授業に耳を傾ける。
と一緒になるクラスは少なくない。
少し前までそれはうれしいことだったのに、今となっては避けたいことのひとつだ。
目が勝手に彼女を追ってしまう。目が合っても、前みたいに笑いかけてはくれない。ぼくも
前みたいに笑えない。
耳は彼女の声を拾ってくる。でもそれはぼくに話す声にはなり得ない。
それらはひとつひとつが棘となって、ぼくの胸に刺さる。
チクリ、チクリと痛みが蓄積されていく。
「・・・・・君がそう言うなら、無理に聞こうとはしないよ。正直、とても興味があるけれど
ね」
「ありがとう。分かってくれてうれしいよ」
この痛みはがどれだけ積もれば致命傷になってくれるんだろう?ぼくの息の根を止めてくれ
るんだろう?
大切なものは失ってから気付く。そう言った先達をぼくは密かに馬鹿にしていた。
大切なものに気付かないなんて愚かだ、ぼくはみすみす大切な人を失ったりはしない、と。
まさか、自分自身がその愚か者になる日が来るなんてこれっぽっちも思わずに。
きみと過ごす時間を、きみの笑顔を、きみの声を。
失った今になって思い知った。
ぼくにとって、きみという存在がどれだけ大切だったか。
夕暮れの図書館の片隅。きみが好んで座っていた、少しバランスの悪い踏み台。
今は同じ時間に同じ場所に行っても、変な姿勢で本を読む君の姿が見つけられない。
きみがいない。それ以外は何一つ変わっていないあの場所がとたんに価値のないものになった。
きみがいたからこそ、あのかび臭くて薄暗い図書館の一角はぼくにとっての大切な宝物だった
んだ。
気まぐれに交わす会話のひとつひとつがかけがえのないものだった。
きみのちょっとした仕種にぼくはいちいち目を心を奪われていた。
一緒に食べたミントチョコレートの歯磨き粉みたいな味だって忘れられない。不味いって
言って顔をしかめたぼくを指差して笑ったきみの顔も。
今でもぼくは、毎日、陽が傾きはじめると図書館へと向かってしまうんだ。
笑ってしまうだろう。すっかり習慣になってしまっていたんだ。気付かないうちに。
習慣になってしまうほどの長い時間をぼくはきみと一緒に過ごした。
きみと会うのはぼくにとって当たり前のことで、きみがいないなんて考えられなかった。
だからぼくは別れを恐れていた。友達という関係を貫けば別れは訪れないと信じていた。
どうして?
ぼくは何を間違えた?
何がいけなかった?
彼女の告白に頷いて、恋人同士になって、甘い時間を共に過ごす代償にいつか必ず訪れる
別れの時に怯えていれば良かった?
何度も何度も、胸の中で繰り返し問う。答えはまだ出ない。いや、どれだけ考えたって
きっと答えは見つかりっこないんだ。正解なんてどこにもない。あるのは後悔と罪悪感
と少しの破壊衝動だけだ。
「さあ、本日の苦行もこれにて終了だ。君はこの後どうする?」
終業のチャイムが響いて、クラスメイトたちは各々席を立ち教室を後にする。そのざわめき
すらも虫の羽音に似た不快なものにしか聴こえない。鬱陶しい。消えてくれ。静かにして
くれ。
「図書館に寄ってから帰るよ」
「あ、おい、待てよリーマス」
ジェームズの呼ぶ声を無視して、ぼくは図書館へと向かった。
きっと今日もきみはいない。
後編